言っていることと、やっていることが違う
今日、井口と話していて、私は妙なものを見た。
酒を飲んでいる。仕事で疲れている。「ここは買ってもバチは当たらんだろうな」というシナリオも発生している。しかも相場は、実際にその考えどおり反発した。
それでも井口は、トレードしようとは一ミリも思っていなかった。
条件だけを並べれば、前夜と大差はない。だが前夜の井口は、どうにかして今すぐトレードをしたがっていた。そして今日は、ノーポジションのまま、驚くほど静かだった。
この差は何なのか。
私はそこで止まった。反省の中身より、その翌日に起きた変化の方が面白かったからだ。
間違っていたのは、相場観ではない
まず、買いの背景がなかったわけではない。
H4では、(c)から(キ)→(ク)→(ケ)へと上昇トレンドが続いていた。その全体を一波とみなせば、現在地は押し目候補として読める。さらに安値(ク)を割ってきたことで、この辺から一発、反発上昇が発生してもおかしくはない。そう考える余地は、確かにあった。
問題は、見立ての正誤ではない。反発が「あり得る」という話から、「だから今ここで、自分が買っていい」という話へ飛んだことだった。
反発の可能性はあった。
だがそれは、「今ここで自分が買う理由」とは別の話だった。
前夜のメインシナリオは、(あ)から(い)へ向かうショートだった。井口は相場を読めていなかったのではない。むしろ本線は見えていた。
途中で、読む主体の方が変わった。
トレードしたい自分が、整合性を探し始める
仕事から帰った。疲れていた。それでも、今すぐトレードがしたかった。
すると(う)の短期的な強い買いが、急に魅力的に見えた。「レジまで突っ込め」。買いのシナリオが立ち上がり、そのシナリオに合わせて背景の整合性が集められていく。
順番が逆だった。
前夜は、チャートを見てシナリオが生まれたのではない。トレードしたい自分が先にいて、その自分に都合のいいシナリオを、あとからチャートの中へ探しにいった。
これは単なる飛び乗りより厄介だ。根拠がないわけではないからである。ひとつひとつの説明には、それらしい整合性がある。だから本人も、自分が欲望に理屈を供給している最中だと気づきにくい。
相場観が外れたのではない。
可能性の整理を、欲望が乗っ取った。
朝、自分の教材に殴られる
救いがなかったわけではない。ロングの途中経過に違和感を覚え、井口は脱出した。判断軸の全部が壊れていたわけではない。最後のセンサーは、まだ生きていた。
そして疲れ果てて寝た。
朝、チャートを開く。そこには、自分が人に教えているとおりの景色が完成していた。本来見ていた本線が、そのまま相場に残っていた。
作者が、自分の教材によって現行犯逮捕される。なかなか見られない場面である。
井口さん、また第6章を読んでください。
は~い~♪
笑い話としては、これで完成している。
だが今日、その続きが起きた。
我慢したのではない。仕事ではなかった
今日も酒を飲んでいる。今日も疲れている。今日も「ここは買ってもバチは当たらんだろうな」と考えられる動きがあり、実際に相場はその方向へ動いた。
前夜との違いは、相場の条件ではなかった。
井口の中で、最初の問いが変わっていた。
今日は、おれの仕事がある日ではない。
これだけで終わった。
上がるかもしれない。実際に上がった。それでも関係がない。相場が動くことと、自分の仕事が発生することは別だからだ。
ここで起きていたのは、誘惑への抵抗ではない。入りたい気持ちを歯を食いしばって抑えたのでもない。「我慢する」という作業そのものが消えていた。
前夜は、目の前の値動きに自分の仕事を発生させようとした。今日は、相場が自分の仕事を出してこなければ、何もしない。
これはノートレードではある。だが技術として見れば、前夜よりずっと上手いトレードだった。
ポジションは、持っていないけれど。
「楽して稼ぐ」を、取り戻す
そして井口は、最初の目的を思い出した。
なぜトレードをマスターしようとしたのか。
相場のあらゆる値動きを理解するためではない。毎日ポジションを持つためでもない。チャートの前で難問を解き続けるためでもない。
楽をしたかったからだ。
おれは楽したい。楽して稼ぎたい。楽とは、知っていることだけ
やること。調べたことだけをやること。それだけで大金を稼ぐこと。
「楽して稼ぐ」は、簡単に稼ぐという意味ではなかった。
知らない値動きに毎回新しい理屈をつくり、正解のない問題をその場で解き、余計なストレスを拾い続けることをやめる。調べて、検証して、何度も見てきた仕事だけが来るまで待つ。そして知っている解き方を使う。
UTのシナリオしか手を出さないのは、UTだけが世界で唯一正しいからではない。
自分が最も知っているからだ。最も安定し、最もブレず、結果として最も楽だからだ。
「UTのシナリオしか手は出さん。」
正しさの宣言ではない。
自分の仕事を限定する宣言である。
獲れそうな動きをすべて獲りにいくと、相場は毎回、初見の問題になる。
知っている仕事に限定すれば、相場は待つ時間と、やる時間に分かれる。
それが、井口の言う「楽」だった。
第6章を、著者本人へ返す
今回の一件は、ULTRA THEORY第6章の自己矛盾を、著者本人が実演した記録でもある。
待つ構造を教えている人が、待てなかった。切迫感の悪循環を説明する人が、「今すぐやりたい」から理由を探した。憲法と法律のルール構造を書いた人が、破った瞬間には何も起きないルールを破り、翌朝になってから罰を受け取った。
理論を知っていることと、理論どおりに振る舞えることは同じではない。
だが、そのズレを隠さず、構造として観察し、翌日の行動まで変えるなら、失敗は黒歴史では終わらない。教材が著者を裁き、著者が教材へ戻る。その往復自体が、また教材になる。
言っていることと、やっていることが違った。
だから次は、言っていることと、やっていることを、もう一度同じにする。
わざわざストレスを拾いにいくのは、昨日で終わりにする。
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